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Fire Monkey

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Today is the starting of Fire Monkey month in Fire Monkey year.
The Black bird ask me.
-Are you happy?
Yes,I'm happy.
-Are you busy?
-...Yes, everyday I exhausted myself trying to do.
-You're gonna cry sometimes?
Yesterday I was crying outburst in my car.
-Have you been in tears of laughter?
30 minutes before
-And?
I want something to do tomorrow. I hope to see my future fast.
-It's so fruitful.To be continued step by step.

 

丙申年、丙申月
黒い鳥が私に尋ねる。
-幸せ?
幸せです。
-大変?
はい。毎日くたくた。
-泣きたいときも?
時々。昨日も車を運転しながらつい。
-腹をかかえて笑ったのは?
30分前くらい、かな。
-そう。それで?
やめたくない。本当はもっと早く進みたいけど。
-それはいいね。じゃ続けよう。

スーパーは命がけ

そんなわけないでしょ、と思うかもしれませんが、4歳男子(スーパーアクティブ)と2歳男子(ノリ良し声デカイ)を連れてスーパーで買い物をする、というのは本当に大変です。

まず、スーパーに行くには、スーパーにたどり着かないといけないわけですけれども。それには家を出ないといけないわけですが。もうそこから大騒ぎです。
4歳「スーパーでどうぶつのクッキーあったでしょう?アレ、食べたい!」
2歳「食べたい食べたい食べたい食べたい!」
4歳「食べたいね〜もううほうほうほうほッて感じで食べたいよねーマアマァー!〜ちゃんも食べたいって!買ってあげたほうがいいと思うよ!ねー!じゃ、ここからレースしようか!?〜くんは肉食の(?)お馬さんで、〜くんはシマウマね!よーし〜!(もうヨーイドンの態勢に、玄関のドアの前で)」
私つとめて冷静に(雑誌VERYとかに載ってる素敵なママをイメージ)ふたりの手をつないで「いい、みんな、深呼吸しようね、すってー、はいてー、、、はい、コラッそこでよつんばにならないッ(←長男に)。これから歩くところは、車が来るところもあるでしょう?だから急に走っていったりすると危ないよね。車にぶつかったら死んじゃうのよ。ちゃんと周りを見てね、オイッ!なんで今お猿になるの(ふたりでお猿のポーズ)ママの話聴いてるッ?」
靴はいて、ドアが開く、その瞬間に飛び出してジャンプする長男、バンザイして駆け出す次男。
日本の家の前はまだ私道なので大丈夫ですが、そのまま坂を駆け下りようとするのを、ストップ!!!!と何回もいいながら追いかける私。
最近は角のところでは止まるようになりましたが、基本的にそれ以外の場所は走っているので、角に来た、急ブレーキ、右、左見る、そして走る!ということの繰り返し。
スーパーに着けば、変なステップを踏みながら”そんなの関係ねー”とか歌いながら、ちょろちょろ動き回る。大声で「あの人、すっごい疲れてるね、どうしてー?」とか聞く。知らないよ、っていうか本人に聞こえてるよ。なんて言えばいいんだあああああ。
みたいなことが延々と続き、なるべく早くここから立ち去りたい、と思うあまり、買いたかったモノを忘れる。メモを見てたら、そのメモを2歳次男が面白がって、〜ちゃんヤギさんみたいネ(満面の笑み)とかじる、、、
神様助けて。
私の精神状態が普通になるまで、5分、いや、2分でいいから一人でトイレに入りたい。
あーでもここまで書いたらすっきりしました。これはこれで結構楽しい毎日なのかも、ネ。

愛ある結婚は冒険である

 

読みたい本がたくさんあって困っているのに、何度も読み返しては考えてしまう本もある。

"ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。"
という本もそのひとつ。

神話というモチーフを使って、世界はひとつに束ねられており、奥底の部分でつながっていることを証明し、だから神話の伝播は徐々にではなく、同時多発的に起こっているのだと話されたキャンベル先生。
つながっているのは目に見える、耳に聞こえる"今話したこと"ではなく、私たちの奥底から湧き上がってくること、つまり"考えていること"がつながっているという話。

2000年くらいからネットが普及して、情報を得ることも発信することも容易に、そして格段に速くなっているけれど、それはつまり、ずっと昔から内面に起こっていたことが露わになったということなのかもしれない。

話は東洋と西洋の集合的意識の話、そしてダライ・ラマの話にもなり、神とはなにか、

でも、題名にもなっている結婚についての話はなかなか出てこない。一番最後に出てくる。

ジョーゼフ・キャンベル(以下C)
結婚とは(中略) 自分を相手に与えるのではなく、二人の関係に与えるのです。
そして自分が相手と同等に関わり合っているのだと気づけば、関係性に自分を与えることは、自分を失う不毛なことではなく、人生を慈しみ豊かにする経験となり、人生を築くことになるのです。
これが結婚の挑戦です。素晴らしいのは人生を共にすることで、標準的な元型にはまってしまうのではなく、成長し続ける人格としてお互いが相手が花開くのを助け合うのです。
人が、クッキー型で作ったようなものになるのはやめて、なにか目を見張るようなびっくりするようなものになってやろうと決心できた瞬間というのは素晴らしいですよ。
トムズ(以下---)
そういったことに気づかないから離婚率が高いのでしょうか?
C 理由の一部ではあるでしょうね。そして冒険を続けられるようにすることです。なぜならあなたが選んだ人が誰であれ、その人を理解できないと必ず思います。その人についてわからないことがいっぱいあって、でもそれは、その人自身にもわからなかったことなのです。そして相手も同様にあなたをわからないと思っていることを忘れないでください。
---そして二人ともずっと変わり続けている。
C ずっと。
---私たちはよく結婚相手を一つの立場に釘づけにしておきたいと思うものですね。
C ひとりでにね。人は結婚とはこうあるべき、こうあって欲しいという固定観念を持っています。それを捨てなければ、愛ある結婚の冒険は手に入りませんよ。二者択一です。そして愛が連れて行く処にあなたの場所があるのです。

冒険って不思議なものだと思います。わくわくするのは、今まで見たことがない、しらなかったところへ出かけていくから?
でも、結局探しているのは、新しい自分の場所なのかもしれません。
さて、私も愛する旦那さまと、そして愛する息子たちを連れて、今日も冒険の旅にでかけることにします。

 

 

ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。―ジョーゼフ・キャンベル対話集

ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。―ジョーゼフ・キャンベル対話集

国立西洋美術館ついに世界遺産に!コルビュジエさんのつくりたかった美術館

旧姓 五十川藍子として作らせていただいた本

コルビュジエさんのつくりたかった美術館

こちらでご紹介させていただいた、国立西洋美術館がついに!

世界遺産に登録されました。

母校でもある東京理科大学の山名善之先生の建築家ル・コルビュジエのムンダネウムに関するお話から着想を経て、Echelle-1の下田さんからご縁をいただき、マップスの山崎社長のおかげで作らせていただいた本でした。

あのときはいろいろとお世話になりました。未熟モノで本当に世間知らずだった私にあのような機会をいただき、心から感謝しております。

出版当時も世界遺産になるかも、という話はありましたが、何回か見送られ、今回は満を持しての世界遺産登録。

関係者の方々の長い間のご尽力を思いますと本当に頭が下がります。本当におめでとうございます!

そしてこの本にもまた、新たな出会いがあるといいなと思います。

手前味噌ながらなかなか良い本だと思います。どことなくフランスの風が吹く金子ともこさんの絵も素敵ですよ。よろしければ是非ご覧になってください!

 

コルビュジエさんのつくりたかった美術館

コルビュジエさんのつくりたかった美術館

  • 作者: 五十川藍子,ペグハウス,金子ともこ,山名善之
  • 出版社/メーカー: Echelle-1
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 1人 クリック: 4回
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遠い声を聴く

創造する、とは遠い声を聴く、ということだ。

少なくとも自分でなにかを創り出している、という感覚ではないと思う。

一生懸命耳をすましている感覚に近いような気がする。

でも、瞑想すれば聞こえるかというと、そんなことはない。

お皿を洗ったり、子どもの制服にワッペンをチクチクつけたり、ものすごい集中力で料理を作ったり、

時間に追われて企画書を作ったり、生活を丁寧にしっかりやる、という先に、ちょっと広場のようなところで一休み。

一杯のコーヒー。

香りたつ匂い。

ちょっと深呼吸。

そんなときに聴こえる声。

それに従うということだ。

一度聴こえたら、もう大丈夫。

時々聴こえなくなることがあるかもしれないけれど、また耳をすませばいいから大丈夫。

そしてこの世の中には創造的でない仕事なんて、ひとつもないから

仕事とは、遠い声を聴く、ということなんだと思う。

言われたこと、見たこと、そのままじゃなく、もちろんそれも受けとめた上で、遠い声が聴こえるかしら、私にも。

TOTEM

昨日はシンガポールでトーテムを観た。

TOTEM - Cirque du Soleil

http://www.sistic.com.sg/events/totem1215

日本でZEDを観た以来。手に汗握るパフォーマンスから、素晴らしい音楽。

ストーリー性を感じる、でもかなり観る側の想像力に委ねられた場面展開。

まるで大自然の中にいるように感じるほど、彩り豊かな衣装や舞台芸術。

4歳の長男には動きが機敏になり、ジャンプが増える、という効果も。

私は、これは命がけの技だ、ということに震撼しており、肩に力が入ってしまい、終わったら心底ホッとした。

確かにとても高いチケットで、そんなにしょっちゅう行けるものではないけれど、こんなオリンピック級のパフォーマンスを次々と、それも心躍るストーリーと音楽に乗せて観られるなんて、とても幸せなことだと思った。

そして、彼らの表情。

パフォーマーの表情がよかった。

演者としての顔と、何かの技を披露する前にチラっと見せる、なんていうのかな、体操競技で演技を始める時の選手の顔。

さあ行くよ、という時に、すぅっと息を吸い込む感じが見れた。

あの顔はいいなあ。自分はといえば、最近、本番、していない気がする。

あそこまで命がけなことはできなくても、なにかの本番をもつというのは、とても大切なことだという気がする。

話は変わるが、シルク・ドゥ・ソレイユ、劇団としては稀有な優良企業だったのに、2012年頃より経営が傾き、今年買収されたのだとか。

ギー・ラリベルテ氏は10%しか株を保有しないことになった。

これもひとつのプロセスとして、シルク・ドゥ・ソレイユが今後も素晴らしい作品を創り続けていくことを、一人のファンとして、心から祈る。

ぼくはアフリカ きみはエジプト そして私はスリランカ

物語を書く、ということは、足のかかとが、3センチくらい、ふわっと浮くことだ。

いや、浮きたくて書いているのかもしれない。

いったん浮いて、ちょっと違うところに着地したいのやも。

息子の話す物語は、いつも、現実から3センチくらい、何かがズレている。

翻訳をかけるともたらされる言語のズレ、というのも、面白い。言葉で遊ぶ感じ。

それはこのズレがもたらす自由さがイイんだと思う。

しっかり構築されたものの中の柔らかさ。

でも、意味もへったくれもないのだけれど、そもそも何もないからこその子どもたちの捉え方も、ヘンテコでいいなあ。

今日、友達と遊んでいて、息子が、

「いい?キミは”エジプト”だから。ボクは”アフリカ”ね!いい?わかった?」と話していて、息子の友達は、息子よりも2歳年上ということもあり物事の捉え方がマトモなので「えーと、それはボクはミイラとかってことかな?(エジプトだから)」

息子「いいよ、ミイラ。でももっと全部ね。ミイラとかじゃなくて、全部ね、ピラミッドとかも全部入ってるから。ぜーんぶやってね!」

それで息子はアフリカを表現することに忙しく、柔軟で心優しい息子の友人はエジプトをしっかり担当していた様子なのだけれど、アフリカにエジプトも入ってなかったっけ...?

あ、でもそんなことはどうでも。

思わずコーヒー淹れながら、そうだなあ、しいて言うならママはスリランカですかね。

夢中で遊ぶ子どもたちは、本当に素敵だ。

今日はアフリカとエジプトとジェラシックパークとお父さんとたこ焼きを担当してくれて、どうもありがとう。